リンク 宝箱の辻 石仏写真の辻 もくじ 石仏の辻
本日のネタとお知らせ



石仏の辻は、新しく ブログ に引っ越します、よろしく。

ブログには右手からお入り下さいませ
ブログの石仏の辻




2009  7/2


平群谷   Vol.001


はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館ではなっくって、帰ってきた峯垣内 裏の谷磨崖仏その1」に。


時は平成のとある年、悪運(この場合は悪雲では無い)立ちこめたるは、
まるで 昭和の機動隊が取り囲む、昭和44年の東大安田講堂の如く、
全く近づく事も、お触りする事も出来ずの「峯垣内 裏の谷磨崖仏」

機動隊の前に立ちはだかるは、恐怖の底なし水田跡、草茫々、薮バリケードに降り注ぐは蚊炎瓶、
どうする御妖聞き評輪家、佐々厚行に策はあるのか!

ありました、キッパリ、裏口入学、たぶん。



裏の谷磨崖仏とは、奈良県 生駒郡 平群町 擽原 峯垣内 裏の谷に在住の地蔵磨崖仏 仏身45でございます。
信貴フラワーロードの擽原トンネルの南口前を東西に走る河内越の道から、
水田を横切ってチョイ上がった所に鎮座しております。

しかしながら現在(2009 03)では、チョ〜自然状態の極地保存状態となっております。
入り口にはイノシシ捕獲箱が設置されてました、わたくし危うく捕獲されかかりました、たぶん。

時が時なら河内越の道から十分弱で行ける裏の谷磨崖仏まで、一時間弱かけて楽しく歩いてまいりました。

なお、今回はどうせ裏口入学なら、これまたひさしゅうの千光寺方面からの進入路を選択。
6年も前に歩いた、いや、這いずった道、

国土地理院の地図には威風堂々と載ってました廃道!
というのか水田跡の畦道跡の、跡跡三昧を、
また再訪しようという、なんともまあ無茶苦茶な暴挙に出たのでございます。

まあ今回はその時のバカバカしいお話しを御一席。


今回のきっかけの 2008 7/8 夏のソナタ

今回スポンサーの都合で 石造物版 川口探検隊  では無くタケチャンマン探検隊で行動してますが、あしからず。












奈良県 生駒郡 平群町  擽原  峯垣内 裏の谷磨崖仏      紀年無し   仏身45     



この写真はLIVE、

これが噂の裏の谷磨崖仏   通称薮殿下、たぶん。

















この写真はLIVE



この道が河内越の道、この辺から斜めに下って、水田跡へ裏の谷磨崖仏へと辿りますが、
今は全くの荒れ放題、今時の自分党も荒れ放題、雀山代表の会計も荒れ放題、


河内越の道をドンドコ歩けば、信貴 生駒 スカイラインと生駒山 縦走路に出ます、
なお、かつ河内側へと。


















ココから3点の写真はすべて6年と4ヶ月前のモノです。

なんじゃコレ、寝癖の悪いオヤジの後頭部の髪の毛か!(毛があるだけ幸せ)












農機具置き場だったと、

これじゃあ、幽霊も出れません、出られません、成仏できません、キッパリ。












この中央が裏の谷磨崖仏への入り口、
あくまでも6年と4ヶ月前の現状、

初めてコレ見て進入を試みる人が居るだろうか?
8年前が無かったら、死んでも行かない地獄道、



現在はまったく、面影もヘチマも無い有様に突入しております。

人食いワニがウヨウヨ居そうな、一面大湿地帯の趣となっております、
その内に蓮の花が見られ事でしょう、たぶん。



逆に裏の谷磨崖仏から湿地帯を通り抜けようと想いましたが、
その想いは一瞬の内に砕け散りました。

川の流れの中でする、鮎の友釣り用装備ならば可能でしょうが。
コレでは、ゴジラやモスラのぬた場でんがな、ホンマ。

足を一歩投じて、スグに引っこ抜きました、
この辺一体の水田跡としての排水機能も跡になってる様でございます。


















前へと参ります




inserted by FC2 system