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本日のネタとお知らせ


2009  6/29


宝山寺 古参道   Vol.009

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館ではなっくって、暗峠からの参道その7」に。


梅雨なのか夏なのか、解散するのかクビを付け替えるのか、
そんな日々が続いてますが、皆様方はいかがお過ごしでしょうか。


いよいよ出ますね、マイクロソフトからウルトラ7が、もとい、もといでございます、
ウィンドウズ7のまちがいでございました、
ここで麻性太郎ともども「自分から言ったことはない」でございます。

なおウィンドウズ7は10月20日発売予定だそうです。
なおかつ買い控え防止策としてビスタからのアップ・グレード・キャンペーンが、もうスタートしてるようです、
早いお話しが、今ビスタ・パソコン買っても三千円ぐらいでウィンドウズ7へお取り替えだそうです。

でビスタとウィンドウズ7の違いは、なんなんしょうか?
現在の亭主の体重と、結婚前の亭主の体重差でしょうか、たぶん、人の事は言えませんが(正直に)




どうですか皆さんこの週末に、暗峠からの参道を歩いて来た人はいませんでしたでしょうか?
山育ちの人なら地図さえあれば、割とスムーズに歩けるのではないでしょうか、

しかしながら私の様な飲屋街育ちの人には、
生活臭の無い場を歩くのにはいささか盛大に躊躇することでございましょう。

ですが、この道は幾百年前には沢山の人々が往来していたのだとイメージすれば、道は開けます、たぶん、(個人差有り)


ちょっと説明不足だった、薬師山 鶴林寺跡から暗峠からの参道への入り口を詳しく書きます。

今の鶴林寺跡は大体、あくまでも大体に二階建て風になってます、
生駒山上から下ってくる所が二階部分で、お堂に薬師の滝がある所です、
ここから、ちょっと下って八大龍王の滝があるのが一階部分となってます。

峯の薬師跡十三仏に暗峠からの参道への道は、この一階部分の八大龍王の滝からスタートします、
判り易いのが一階部分の下の石垣に沿ってレッツゴー(宝山寺 古参道   Vol.006の下の方


私的には、今までの暗峠−ラッキーガーデン−宝山寺−生駒駅の道より、
この暗峠からの参道が、暗峠から生駒駅への時間短縮のバイパス道にならないかと思いましたが。
難しいですね、時間的には微妙でしょうか、最低限の道として整備しないと、

それよりも、人の手が入り続けないと御家断絶にも成りかねませんが現状。

庄兵ヱ道共々、けっこう歴史共々イメージ豊かな良いハイキングコースになると思うんですが。












髪切山 慈光寺       十三仏板碑 天正十九年(1591)





















2009  6/27


宝山寺 古参道   Vol.008

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館ではなっくって、暗峠からの参道その6」に。

あなたも右手に空海、左手に役行者と三人一緒に暗峠からの参道を歩いてみませんか!


宝山寺−梅屋敷駅−霞ヶ丘駅−鶴林寺跡−八大龍王の滝−峯の薬師跡 十三仏−西畑配水池からの谷を上がっての分岐
−生駒山スカイラインの北スプーンカーブ−生駒山スカイラインの南スプーンカーブ−生駒山スカイライン−髪切峠−暗峠



内閣掃除大臣の麻性太郎は記者会見で「そう遠くない日に」歩くと語るのでありました。















西畑配水池からの谷を上がっての分岐


峯の薬師跡 十三仏を旅立って、壮絶なる薮漕ぎを覚悟してたんですが、
微かながらの踏み後が導いてくれます(良い方へと解釈)

以外や、以外、明らかに人の手が入った後がアチコチに、西畑町の方の山仕事の為か。

そして、上のポイントへと、
Jさんの御案内で当日帰りに、また!また!御丁寧に西畑配水池から、谷をえっちら、こっちらとココまで登って来ました。
この道の真ん中に横たわるのが石畳跡か?このゴロ、ゴロ石でアイル・ビー・バックだと、一瞬の内に悟りました。

尚、この谷登り御奨めできません、
私は二度と登らないことをココに宣言する次第でございます。
それでも谷登りする人は、薮地帯にブチ当ったら左手へよじ登ってください、ココに出ます、たぶん。

道があると言えば有る、無いと言えば無い、有ったり、無かったり、
そんな道が続きます。

「責任者呼んでこい」と叫ぶ人には御奨め出来ません、私は叫びましたが。














やがて、突如この電線鉄塔が現れます、地図には載ってない最新式の鉄塔でしょうか、
生駒山頂上から来てるようです、デジタル対応か?

そして、この辺りが生駒山スカイラインの北スプーンカーブ近の場所の様です。














生駒山スカイラインの南スプーンカーブ又は第二阪奈通気口辺りのチョット南東、

ホンの数メートルこの排水溝に入って右手によじ登ってください。

今回の道で危ないと言えば、唯一ココの段差のある排水溝に降りる時です、
今回、コレ幸い水に押し流された木の枝が階段状になっててOKでしたが。

いつまでもあると思うな、親と金、
いつまでもあると思うな、木と枝、

苔、コケでともかく滑りますので要注意!















排水溝からよじ登れば、生駒山スカイラインの為に、
暗峠からの参道が、ズタズタにされた部分のようです。

この部分大変に分かり難いのですが、根気よく微かに残ってる踏み後を辿ってください、
ここから、小さな小さな谷に降りてチョットだけ上がれば。


一人で再訪して往復路の帰りココで迷いました、盛大に、
ドコ見ても、みんな同じ金太郎飴風景に見えてしまいます。

狭い小さな谷とも呼べない場所ですが、要注意です。
















チョットだけ上がった所、

この辺りに出れば、それなりの道が復活してます。
これには驚きですが、傾斜が緩やかですから自然崩壊から免れてるようです。














そして、しばらく歩けば生駒山スカイラインが、感動のゴールですね、
髪切峠までスグそこです。

ココから髪切峠、そして暗峠まで殆どこの生駒山スカイラインに沿ってあったようです、
そして、峠の地蔵 文永年間が安置してあるお堂の下の小さな畑に出てきたのではないでしょうか。

地蔵さまの傍らの道標
不動明王の種子、
北 鬼取山(元薬師)十二丁
宝山寺廿五丁
享保十七年(1732)



本日歩いた鬼取山から暗峠までは殆ど、享保十七年(1732)頃と同じ道ではないかと勝手に想像しております、
当然、地震に台風にての多少の大きな変動と誤差はございましょうが(正直に)


今回は「暗峠からの参道」と言うことで歩いたんですが、
それより以前に旧鶴林寺から暗峠への道として威風堂々と存在してたのではと、
空海も役行者もこの道を歩き修行に励んだのではと、


もし「暗峠からの参道」を歩いたぞ〜と仰る方がおられましたら、
できたら、感想なんぞをメールで送って下さいませ。

もれなく無理矢理にタケチャンマン特性サイン入りブロマイドを進呈!


道さえ判ればそれ程困難な道では無いかと、注意箇所を上げれば段差のある排水溝ですか。
出来ればウォーキング娘で歩きたいコースであります。


タケチャンマンは記者会見で「そう遠くない日に」また歩くと語るのでありました、おしまい。
都議選前に歩い(麻性)太郎、半オチだ。

















2009  6/24


宝山寺 古参道   Vol.007

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館ではなっくって、暗峠からの参道その5」に。

司会の西国原英夫 宮崎県知事でございます、
私は「総裁候補なら」ば暗峠に歩く次第でございます、ホンマ。
自分はとても真剣でございます、宮崎県民と共に歩きます、ココ重要。



いつかは白い宮崎県知事ならぬ、真っ黒ケの毛の自分党 総裁の座。
いつかは薬師山 旧鶴林寺跡・八大龍王 薬師の滝から一段下がっての八大龍王の滝から、
髪切峠(髪切山 慈光寺)暗峠までの道、それが暗峠からの参道。



皆さん国土地理院の1:25000 生駒&信貴山を広げてくださいませ、

宝山寺−梅屋敷駅−霞ヶ丘駅−旧鶴林寺跡−八大龍王の滝−峯の薬師跡  十三仏−西畑配水池からの谷を上がっての分岐
−生駒山スカイラインの北スプーンカーブ−生駒山スカイラインの南スプーンカーブ−生駒山スカイライン−髪切峠−暗峠

皆さん地図上にマーカーでマーキングしたでしょうか、
後は当たるも八卦、当たらぬも八卦、外れれば迷うだけ、
何故か隣でイビキをかいて寝てる、旦那を見てしまう良妻な私。













峯の薬師跡 十三仏


どうですか皆さん、この十三仏まで辿り着けましたでしょうか?
入り口からたかが数百m、えらい数百m、地獄の数百mでしたでしょうか、

自力でココまで辿り着けたなら、ほとんどの方が10%の確率で暗峠へと辿り着けるでしょう、たぶん。
後90%の方は、残念賞のティッシュ貰って帰りましょう。

地元の方が峰の薬師のうつぶせ地蔵と呼ぶそうです、
しかし、なぜ、今もこの十三仏がこの地に。
と申しても、最初からココに居られたのかは、今はもう誰も知るものは居ないのですが。

大体のパターンからすると、麓の鬼取町の鶴林寺で鎮座(移される)するハズなんですけど、
何か強烈なる、サラに爆裂なる、聴くもおぞましい伝承でもあるかと思うと、
それも無いみたいですが、
いや、いや、いや、ヨソ者には話せない、タブーがあるのか?


しかし、ココの道幅がゆうに2m近くあるというのが、皆さんはどう考えます、
峯の薬師跡 十三仏の為にと考えれば、合点が行きますが。

この道、残ってる所はそれなりの道幅があると言うのには、正直驚きました。
車の無い時代には、それなりの人の流れがあった道だったのか。












謎が謎を呼びます十三仏、県下十三仏在銘中、二番目に古い永正七年(1510)
右手に年号がありますから、メン玉闊歩十手見てね。


鎌倉時代から戦国時代にかけては、旧鶴林寺から暗峠への道は、
今の阪奈道路みたいだったのでは、たぶん。

皆様方も是非、鎌倉時代から戦国時代を想い浮かべて、この道を歩いてください、
歩けば歩くほど、ダシ(妄想)が出る道ではございませんか、たぶん。


その頃には宝山寺は大聖無動寺と呼ばれてたそうです。

















峰の薬師のうつぶせ地蔵に一時の休息を取った、
水曜スペシャル 廃道版 川口探検隊御一行様(タケチャンマン&Jさん)は、
いよいよ、これから禁断の地、未知へのルートへと旅立つ訳でございます。

プル、プル、プルと武者震いがタケチャンマンの体を健康マッサジーしたのでございました、どうでもいいけど。

そんな、こんなで、あれ〜けっこう踏み後らしきがそれなり、それなり、
十年前頃よりは、なんか、ましな気分が、フツ、フツと、沸騰点にへと昇華したのでございました。

そうなんです、十年前頃に二、三回アタックしたんですが、密林ジャングル状態に恐れをなして、帰ってきてしまったのでございます。

手応えを感じる水曜スペシャル 廃道版 川口探検隊御一行様(タケチャンマン&Jさん)に微笑みが蘇ったのです、
しかし、そんな安堵なムードが一瞬のうちに凍てつく出来事が、襲いかかったのでございます。


目の前数メートルに、未知の物体が唐突にゴロリンしてました、ココ、これは、これは、五輪塔のたぶん、たぶん。

尚かつ、ヤバイ事に見えてる反対側が、レザーカッターで切られた様にカッティングしてありました、ホンマ、真実。
出、出ました、ついにプレデターが生駒山中に、(完全に映画の見過ぎ)

水曜スペシャル 廃道版 川口探検隊御一行様(タケチャンマン&Jさん)は直ちに戦闘態勢に、
そして、私達はエイリアンではないぞ〜と大声を張り上げたのでございます、空しくは生駒山中にコダマする叫び声。


しかし、なんで、五輪塔の残欠が唐突にこんな所に、旧鶴林寺関連と考えるのが普通でしょうが。
しかし、なんでカッティングなの?

皆さんもこの目でお確かめ下さい、この裏に500年前の真実が隠されているのでございます。

正直な話し、石造物の残欠見てきましたが、この切り口は何の為か・・・






盛り上がった所で申し訳ありませんが、
電話入りましたから、また〜























2009  6/23


宝山寺 古参道   Vol.006

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館ではなっくって、暗峠からの参道その4」に。

いつかは白いクラウンならぬ、
いつかは薬師山 鶴林寺跡・八大龍王 薬師の滝から髪切峠(髪切山 慈光寺)暗峠までの道、それが暗峠からの参道。













ほとんど展望の利かない道ではありますが、やがて鶴林寺跡へとやって参ります。

入り口に威風堂々と鎮座する、立派成る石造看板の薬師山 鶴林寺 由緒沿革をまず読んでみてはどうでしょうか。















鶴林寺跡


この地にて戦国時代まで鶴林寺がそびえ立っていた訳ですね、
ここから暗峠へと歩く途中の山中に忽然と現れたる、峯の薬師跡十三仏  永正七年(1510)ですから、

松永久秀軍が鶴林寺に襲いかかったのは、その後しばらくなんでしょうか?

して、発掘調査してるんでしょうか、

出てきた焼けただれた遺物を、放射年代測定すれば、
私の無実が証明される訳ですね、たぶん。

私は松永久秀軍のたこ焼きを盗み食いはしてません、キッパリ!












どうですか、戦国時代の香りが、プン、プンしてきませんか、

気のせいかな・・・


















組まれた石段も自然崩壊、

ホンマの自然のまま、

辺りは、全くの静寂そのもの、

中高年の逢い引きスポットに井の一番にお奨めいたします、コレほんま。


















そして、いよいよ、ココが暗峠への入り口でございます、

体を斜めにして、一歩、一歩、お歩き下さいませ。



















数十歩徘徊して斜め上を眺めた所、

これがシャバで見た最後の映像に成らぬ様、
まだ、ココなら引き返せる、最終決断をば!

正にマイホームを買う時位の緊張感が、襲いかかって参ります(資本主義の宿命)
又は、旦那と一緒に成った後で、スカを引いたと悟った時のヘロ、ヘロ感が襲いかかって参ります(若気の至り、人によっては、老気の至り)




盛り上がった所で申し訳ありませんが、
これから風呂入りますもんで、また〜


















2009  6/22


宝山寺 古参道   Vol.005

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館ではなっくって、暗峠からの参道その3」に。

いつかは白いクラウンならぬ、
いつかは薬師山 鶴林寺跡・八大龍王 薬師の滝から髪切峠(髪切山 慈光寺)暗峠までの道、それが暗峠からの参道。


宝山寺への道 古道に残る信仰の 文字 今井正弘著」 から私の解釈で、
今の目安(ターゲット)に重ね合わせると。

皆さん国土地理院の1:25000 生駒&信貴山を広げてくださいませ、

宝山寺−梅屋敷駅−霞ヶ丘駅−鶴林寺跡−八大龍王の滝−峯の薬師跡十三仏−西畑配水池からの谷を上がっての分岐
−生駒山スカイラインの北スプーンカーブ−生駒山スカイラインの南スプーンカーブ−生駒山スカイライン−髪切峠−暗峠















この道標を左手へドンドン進むと千光寺への庄兵ヱ道

右手のケーブル線に沿って、この石段を上がっていけば梅屋敷駅(390m)、

梅屋敷駅辺りで、辻子越え参道と暗峠へと分かれたそうです。
現場へ行けば一目瞭然、暗峠への道は何処へ?

地図から推測すると、すぐ下(南)の谷を霞ヶ丘駅付近へと登って行ってたのか。












ケーブル線の霞ヶ丘駅(515m)
















写真では、なにが、なんやら、なんだか、判ん無いですけど、
霞ヶ丘駅のスグ横と申したらいいんでしょうか、正確には南に、石段の道が下へと下へと、今はこの状態。

ウン年前に薄暗いジャングル草萌え萌えの中の石段を、ドンドコ、ドンドコ(そうとうなるハンパではない距離)と下れば、
あやしげな場所に出て行き止まり!ココはドコ、なんか、なんか、なんか、廃墟か、民家かのなれの果てか、
そんなことよりも出口が無い〜悪夢じゃ〜地獄じゃ〜

ヒエロニムス・ボッシュの「快楽の園 地獄」の心境になりて、オシッコちびりそうな気分になりました、ホンマ。
タケチャンマンは命あってのモノダネでマッハ15のスピードで石段を駆け上がったのでございます、これもホンマ。

まあ、この恐怖の石段下り道に比べたら、「暗峠からの参道」なんてアフガニスタンの首都カブールぐらいでんな、たぶん。

Jさんによるとこの場所手前で右手へと離脱せよ!だそうです。

この石段こそ、宝山から梅屋敷駅からの暗峠への遺物かもしれませんが、裏とってませんので推測。



Jさんとは、私の呼びかけにメールで答えてくれた、生駒山のスペシャリスト、
今回一緒に「暗峠からの参道」を歩きました、感謝感激雨Jさんでございます。

















ちょうどユリが咲いてました、

霞ヶ丘駅から鶴林寺跡・八大龍王への道

この道は皆さんもたまには歩くのでありませんか、
真ん中ぐらいに今は廃館に成ってる宇宙科学館前に上がる道があります。





そんな訳で、大盛況(あくまでも個人的な推測ですが)の内に次回に続く・・・         


















2009  6/21





奈良県 生駒市 鬼取   峯の薬師跡十三仏



宝山寺 古参道   Vol.004

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館ではなっくって、暗峠からの参道その2」に。

いつかは白いクラウンならぬ、
いつかは薬師山 鶴林寺跡・八大龍王 薬師の滝から髪切峠(髪切山 慈光寺)暗峠までの道、それが暗峠からの参道。

ついに、かんぽの宿してきました、もとい、もといでございます、
完歩の間違いでございました、自分党の雀山元大臣並びに西川義文社長各位に、
大変なる御迷惑をおかけいたしました事をお詫びいたします、たぶん。




万が一、実際に歩こうと言う気がおこった方へ、歩行上の御注意(必ず御守りください)
*この道の入り口を見てびびった方は、なにも見なかった事にして即帰りましょう。
*途中で道に迷ったら、大声で助けを呼びましょう!
   運が良かったら誰かが助けに来てくれます、ワールドカップで日本代表がベスト4に入れるぐらいの確率、たぶん。
*この道では携帯は単なる文鎮の役目しか果たしません、アーメン。
*これからの季節、レナウン娘の如く、ワンサカ、わんさか、ワンサカと蚊軍団及び虫軍団がお近づきに、イェイ〜イェイ〜イェイ〜エイ、エイ。
*弁護士立ち会いの元、遺書を家族に残しておきましょう、ココ肝心。

以上の事がお守り出来る方、
自己責任にてお歩き下さいませ、
諦めかんじん、鑑真和尚、後悔縦にも横にも立たず、私は役立たず、たぶん。



さあ皆様方方御準備できたでしょうか、快楽の園、悦楽の神秘、押しては寄せる愛歩の誘い、それでは歩いてもらいましょう。

時は今から去ることウン年前、場所は生駒図書館、
私の繊細なる指が(自己申告)触れた本が「宝山寺への道 古道に残る信仰の 文字 今井正弘著」
ソコに書かれた驚愕事実が私を鮮烈の欲望の暴歩へと駆り立てたのでございます。

まあ早い話、今の近鉄電車 奈良線の出来る前に、誰も彼もが歩いてアチコチから宝山寺参った道の事が書かれていたわけです。
今も残ってる道もあれば、日本昔話になった道もある、たぶん。


そして、2009 5/17 宝山寺古参道 Vol.001 で紹介した、プローログ「暗峠からの参道」
SさんとXメン(大阪の人)で暗峠まで歩いたと聞いて、色めき立ったタケチャンマン。

あ、あ、あ、歩きたい、でも何かとてもデンジャラスなる香りがする道。
藪漕ぎ、水漕ぎ、枝漕ぎ、
襲いかかるイノシシをバッタ、バッタと除けて、
鎌首を持ち上げて威嚇するマムシに、コンニチハと明るく御挨拶をして、
降り注ぐヒルに、今は午前中であってヒルではないと説教をして、
そういうものに
わたしはなりたい、いや歩きたい、たぶん。



今までの経過報告

荒池道(八丁門峠)越え参道

庄兵ヱ道 1
庄兵ヱ道 2

峯の薬師跡十三仏

辻子越え参道  プローログ「暗峠からの参道」





そんな訳で、大盛況の内に次回に続く・・・
















2009  6/18


生駒山   Vol.001           暗峠の棚田 


はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、「暗峠の棚田」に。

皆様方御元気だったでしょうか、一週間ぶりぐらいの御無沙汰でした。

大変お節介ですが、皆々様方方の頭にオタマジャクシ降りませんでしたでしょうか?

大変わざとらしいのですが、私はアマノジャクですのでカエルも降ってきませんでした、たぶん。



オタマジャクシ達が集う暗峠の棚田を歩いてきました。












奈良県 生駒市






























































































































































2009  6/10

奈良   Vol.003           知足院  その3

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、「知足院の五輪塔」に。

司会の民住党では無くって自分党の雀山でございます、お間違い無い様、御願い申し上げます。
憎き仇討ち相手である日木郵政の西川義文社長を、後一歩まで追いつめました!

しかしながら自分党の皆々様方は、経図連のお礼参りにすっかりビビっております、たぶん、確定。



そんな訳で経図連御一行様は知足院の見物を続行中でございます。












奈良市  雑司町    知足院           五輪塔  応仁2年(1468)


是非、この目で御覧なることをお奨めいたします、

夕暮れ前にいかれると、尚いっそうムードも高まりましょう。

法印光宣さんのダンディズムの結晶でありましょうか、たぶん。













逆修法印光宣
文明元年己丑(追刻)
阿弥陀さん
十一月廿日(追刻)
応仁二年八月廿二日


皆さん上のリンク御訪問しましたか?
どっからどこまでが真実なのか、はたまた脚色なのかと、
しかしながら、小泉純二郎の如く、役者やの〜

法印光宣さん、来年のNHK大河ドラマに一押しですね、
キャスティングは法印光宣さんはナヘツネさんに決定ですね、たぶん。


















2009  6/6

奈良   Vol.002           知足院  その2


司会の自分党、世襲制限先細りでございます、
もとい、もといでございます、先送りの間違いでございました。
ここで、訂正とお詫びを申し上げます、心に無いけど。


皆さん前回の写真から、石仏さんの底面にポッチがあるの気づきましたか?
そうなんですね、ポッチがあるのが男の子なんですね、たぶん。

皆さん信じてませんね、賢明です。
ポッチは土台に設置する為の安定装置なんですね。

しかしながら石仏に性別はあるんでしょうか?
地蔵さんは男、観音さんは女ですか?

石仏界にはイッコーさんとか、三輪明宏さんとかは存在しないのかとか、
皆さんは、極めて重大なる疑問を持ちませんか、
私はこれで、今夜は寝れまへんね、たぶん。











奈良市  雑司町    知足院

別石の十三仏とその仲間達

















こうやって見ると可愛いでしょ、
携帯のストラップに付けたくなるんではありませんか。
(まあ現実的には、お隣の東大寺の大仏さん位のガタイが無いと非論理的ですが)

皆さんは、そんなコトしたら「バチが当たる」とお考えですか、
皆さん心配は御無用です、キッパリ。

なぜならば、ほとんどの人が、もうバチに当たっているからです、たぶん。
あ、ソコの人、今から拝んでも手遅れでございます。




























この埋もれっぷりが見事ですね、流れ去った日々がどんだけ〜



石仏に興味無い人には、極めて退屈なる写真の数々、

私も眠たくなっちゃいましたので、お休みなさいませ。

















2009  6/4

奈良   Vol.001           知足院  その1

はあ〜るば〜る来たぜ〜「函館」ではなっくって、「知足院の別石の十三仏」に。

皆さんは訪れたことありますか知足院に、知足院奈良八重桜で有名だったんですね。

と言うか、知足院の別石の十三仏なんて誰も知らない、人造記念物にも指定されてないわけです。

知足院は正倉院の東側にひっそりと、

別石の十三仏に至っては、さらに盛大にひっそりと落ち葉の上に、今は十一仏(二体は何処へ)となって佇んでおられます。

室町末期頃に、英慶さんが逆修供養の為に
造立。











奈良市  雑司町    知足院

別石の十三仏とその仲間達


この状態見たら、英慶さんも逆修しといて良かったと、たぶん。













お行儀良く並んでます、



























私も今のうちに逆修しよかなと思いましたが、

先立つものがありまへんがな、ホンマ。

コレがほんとの、地獄の沙汰も金次第でございます、たぶん。


















前へと参ります




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